小1の行き渋りから始まった――社会的コミュニケーション症・場面緘黙・ASDと向き合うまで

娘が「学校へ行きたくない」と言い始めたのは、小学校1年生のころでした。

当時は、まさか数年後に「発達障害」「社会的コミュニケーション症」「場面緘黙」「自閉スペクトラム症(ASD)」という言葉と向き合うことになるとは思っていませんでした。

今振り返ると、幼稚園時代から“サイン”はたくさんあったのだと思います。

でも、その時の私は気づけませんでした。

「少し繊細な子なんだな」

「慎重な性格なんだな」

そんなふうに思っていたのです。

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幼稚園時代、「困っている」が言えなかった

娘は小さいころから、おとなしく優しい子でした。

どちらかというと遠慮がちで、自分からグイグイ行くタイプではなかったです。

年中のころのエピソードです。

給食中にスプーンを落としてしまったことがあったそうです。

けれど娘は先生に「落としました」と言えず、その場で静かに泣いていました。

それを見たお友達が、代わりに先生へ伝えてくれたそうです。

先生からその話を聞いた時、私は、

「恥ずかしかったのかな」

「おとなしいからかな」

その程度にしか考えていませんでした。

でも今思うと、あれは「困っていても自分から助けを求めることができない」「助けを求めたいのに言えない」という娘なりの困りごとだったのです。

「自由に描いて」が難しかった

年長になると、絵や工作で困る場面が増えていきました。

娘は「好きな絵を描いてみよう」がとても苦手だったそうです。

  • 何を描けばいいのか
  • どう描けばいいのか
  • 何色を使えばいいのか

それが自分では整理できず、手が止まってしまう。

先生が横につき、

「何を描く?」

「ここは何色にする?」

「まずここから描いてみようか」

と、一つひとつ声をかけながら進めてくださっていました。

作品展の制作でも同じでした。

お題は理解している。

でも、「どう作ればいいか」が分からない。

結果として制作がなかなか進まず、時間内に完成できなかったこともありました。

当時の私は、

「不器用なんだな」

「慎重なんだな」

くらいに思っていました。

でも今振り返ると、娘は「曖昧な指示から自分で組み立てること」が苦手だったのです。

小学校入学後、少しずつ始まった行き渋り

小学校へ入学してから、娘は少しずつ「お腹が痛い」と言うようになりました。

そのたびに私は、「少ししたら治るかもしれないから、学校に行って、もし痛くなったら先生に言ってね」と声をかけ、送り出していました。

そんな日が何日か続いたあと、娘は「行きたくない」と言うようになりました。

けれど、「どうして行きたくないの?」と聞いても、娘は黙ってしまいます。

何が嫌なのか。

友達関係なのか。

勉強なのか。

問いかけても、理由を言葉にすることはできない様子でした。

「お腹が痛い」ということも、学校では先生に伝えられていなかったようです。

理由を聞かれても、自分でもうまく整理できない。

言葉にしようとすると、余計に苦しくなってしまう。

そんな状態だったのかもしれません。

家では普通に話せるのに、外ではほとんど声が出ない。

先生に話しかけられても、とっさに返事ができない。

言いたい気持ちはあるのに、声にならない。

当時の私は、

「恥ずかしがり屋なんだな」

「人見知りが強いんだな」

そう受け止めていました。

でも今振り返ると、あれは単なる性格ではなく、娘なりの強い不安や生きづらさのサインだったのだと思います。

小2でついた「社会的コミュニケーション症」という診断名

娘の行き渋りについて、担任の先生に相談していたところ、養護教諭の先生に発達検査を勧められました。

そして、小学校2年生の時に「社会的コミュニケーション症」という診断を受けました。

でも正直、その時の私はピンときませんでした。

そもそも、聞いたことのない診断名だったのです。

ASD(自閉スペクトラム症)やADHDは聞いたことがありました。

でも、「社会的コミュニケーション症」という言葉は初めて聞きました。

私は帰宅してすぐに検索しました。

けれど出てくるのは、

  • 学術的な説明
  • 専門用語
  • DSM-5の診断基準

そんな情報ばかり。

「実際にはどんな困りごとがあるのか」

「学校生活はどうなるのか」

「親はどう関わればいいのか」

そういう“生活のイメージ”が全然見えてきませんでした。

特に私は、

「うちの子の場合はどうなの?」

が知りたかったのだと思います。

でも当時は、社会的コミュニケーション症についての体験談がほとんど見つけられませんでした。

「困りごと」が見えにくい子だった

娘は、教室で騒ぐタイプではありませんでした。

むしろ静かで、真面目で、周りに合わせようとする子でした。

だからこそ、困りごとが見えにくかったのだと思います。

  • 分からなくても聞けない
  • 困っても助けを求められない
  • 不安でも我慢してしまう
  • 曖昧な指示だと止まってしまう

そして限界が来ると、動けなくなる。

今振り返ると、小学校で求められる

  • 自分で考える
  • 自分で動く
  • 周りを見て判断する
  • 気持ちを言葉で説明する

という場面が、娘にはとても負担だったのだと思います。

あの頃、体験談を探していた

診断を受けたあと、私は毎日のように検索していました。

でも出てくるのは専門的な情報ばかり。

だから私はずっと、

「実際にはどんな子なんだろう」

「みんな、どんなことで悩んでいるんだろう」

と思っていました。

そして今、この記事を書いています。

あの頃の私と同じように、

  • 子どもの行き渋りに悩んでいる人
  • 学校で話せないことに悩んでいる人
  • 「社会的コミュニケーション症」という言葉を初めて聞いて戸惑っている人

そんな保護者の方に、

「うちだけじゃなかった」

と思ってもらえたら嬉しいです。

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